「同志少女よ敵を撃て」

鑑賞 思考

同志少女よ敵を撃て 逢坂冬馬

Audible で聞いた。15時間半を2倍速で聴いているので7時間ほど。ナレーターも素晴らしく、ストレスなく聞くことができた。

私の読書はミステリィとSFに偏りがちだが、久しぶりにそれ以外のジャンルで「大作を読んだ」という感じがあった。日本国内にとどめておいては勿体無い、世界に発信すべき傑作だ。映画化なども期待したいところだが、、、

2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まり今も続いているが、本作品の発行はその直前とも言える2021年11月だった。旧ソ連に女性狙撃手の小隊が存在し、第二次世界大戦に参戦していたという史実に基づき、本作品は進行する。もちろん作品全体としては反戦のメッセージは明確であるが、部分を切り抜けばロシア礼賛と取られかねない描写もある。そんなわけで映画化は当面難しいかもしれない。残念なことだ。

作者の逢坂冬馬の姉は奈倉有里というロシア文学者で著書、翻訳がいくつもある。気になるタイトルもあるのでいずれ読んでみよう。


ところでこの作品にも何度か登場したのだが、「一流の兵士は背後遠方から照準で狙われても気づく」という描写がある。目から何か光線のようなものが出てそれがスコープ越しでも体に当たると熱のようなものを感じる、というようなことらしい。本作品に限らず、スナイパーの登場するフィクションでは頻繁にその手の描写が登場する。

スコープのレンズをこちらへ向けていると独特の反射をする。それが視界に入ればかなり遠方でも気づく、というのはあり得なくはない話だ。スナイパーの隠れていそうな場所も経験を積めばほとんど直観的に察しがつくであろう。しかし、背後でもそれがわかるというのは少々納得がいかない。
「視線」などという言葉があるのでなんとなくそんな風に世間で思われているフシがあるが、物理的に考えれば、目から光線は出ていない。

後ろに目がついているのか?と言われるほど背後からの気配に敏感な人、というのはいるが、それは結局のところは音や影の動きを察知しているはずだ。ただ、当人でさえそれがどのように「感じられる」かは正確に把握しておらず、ただ背後に「気配」を感じる。そういうことはあり得る話だ。

だがそれが100メートルも遠くの背後となればどうだろう。流石に無理ではなかろうか。