怒らずに罰を与える

当時35歳 思考

どうも世の中では、怒っているから罰を与え、怒ってないなら罰を与えない、という考えが自然に蔓延しているように感じる。

例えば、子供がなにか悪さをしたので、「廊下に立っとれ!」と怒鳴りつける。

例えば、待ち合わせの時間に相手が遅れたので「30分も無駄にした!カフェ代はあんたが出しなさいよ!」と詰め寄る。

例えば、医療ミスで被害を被った時に、「どう責任を取ってくれるんだ!」と裁判を起こす。

怒るのは疲れるし、関係を悪化するばかりで、双方にとってメリットが薄い。できることなら怒りたく無いのだ。だが、ちゃんと伝えるべきことを伝えないと、両者の関係は悪化の一途を辿る。だから仕方なく怒るのだ。。。

と、なりがちなのだが、怒らずに済む方法はわりとある。例えば遅刻癖のある友人と待ち合わせの約束をする場合、私は実際によくやるのだが、待ち合わせをカフェに指定する上に、遅刻時は代金を払えと予め伝えておくのだ。

次の予定があれば、何時までに来なければ勝手に帰る、とも言ってしまう。

こうして、相手の遅刻によって自分が受ける被害を予め最小化しておけば、いちいち腹をたてることもなくまあまあの関係を維持することができる。

同時に相手は適度な罰を受ける。この例ではカフェ代の支払いがそれに当たる。落ち度のあるほうが損をするようにし向けることで、遅刻をしないようにするインセンティブがより強く働く。

「医療ミス」も同じように考えている。人間が絡むことだからミスは起きうる。ミスを起こした人間に怒ってもどうしようもない。だが、組織としてミスを減らす努力は続けるべきだ。したがって、怒る必要はないが、請求はすべきだろう。