ArtとEntertainment

当時26歳 思考

以下のように定義してみる。

アートは自分の内から出るもの、エンタテイメントは他人に合わせるもの。
アートは自分を満足させるもの、エンタテイメントは他人を満足させるもの。

エンタテイメントの究極とは、より多くの観客を満足させることだ。
100人の「客」がいて、各々好きな果物を頭に思い描いているとしよう。
手元に1万円あったときに、どんな組み合わせで果物を買うべきかは数学的に求まる。
エンタテイメントとは、単純化すればそういうことだ。
人々が何を求めているかさえ明確なら、その場(field)には「最高のエンタテイメント」が定義される。
そこにエンタテイナが登場する以前に、既にそれは存在する。
エンタテイメントの究極とは、既に存在している隠された答えに、出来る限り近づこうとすることだ。
エンタテイメントには本質的に、独創性は要求されない。

人々はしばしば、過去に経験したことのない事を好む。これが問題を複雑化している。
この複合問題はまた今度考えることにする。

アートに関しては、2段階に分けて考えようと思う。

アートαの究極とは、徹底的に外界からの干渉を排除することだ。
自分の内側に向けてじっくりと耳を澄ませ、出来るだけ純粋な形でそれを掘り起こすことだ。
つまり、独創だ。

「独創」は必ずしも「独創的」ではない。
二人の人間が、それぞれ独自に創造したものが、たまたま同じ結果になるということは珍しくない。

「アートは自分のため」という冒頭の定義に純粋に従うなら他人の存在は一切関係ないのだが、一般には「他人にアートと認められるアート」という概念があるようなので、これについて考えたい。
第2段階として、「独創的」を追及しよう。

アートβの究極とは、他の誰も到達しえなかった領域に到達することだ。
これに関して、1つのモデルを考えているので後日紹介しようと思う。