「まるでAvatarの植物みたいだね」と私が発言しても「そんな映画だっけ?」と返される事が思いの外多い。自分と同じような見方をした人が実は結構少ないのでは、というようなことを、劇場公開が終わって何年もしてから思い至った。

試しに検索をしてみたもののしっくりくる解説が見当たらなかったので、自分で書くことにした。

ストーリー的に重要なネタバレはしていないはずなので、これから観ようという方も安心して一読頂き、以下の話を踏まえた上で映画をご覧になると、ひと味違った楽しみ方が出来るかもしれない。

パンドラ星の植物

前提として、地球の話を復習しよう。映画の中ではなく、我々の生きている、この地球の話だ。

人間を含め、動物には神経と筋肉があって、脳からの信号で全身を動かしている。この「信号」というのは電気信号だ。

電気信号は非常に伝達が早いため、象のように大きな体を持つ動物でも、目から足の先までほぼ一瞬で情報が伝わる。

この仕組みが、植物には無い。しかし、まったく無いわけではなく、「神経のようなもの」は多くの植物に実は備わっている。

この動画を見て欲しい。

これは地球上の植物を早回しにしたものだ。こうして早回しで見ると、植物もじつに生き物らしい動きをしていると感じる。水をやればそれに反応して全身を震わせるのがわかるだろう。植物は電気信号ではなく、化学物質を水などで運搬することで根から葉の先まで情報伝達をしているのだ。電気信号と比べると、物質による情報伝達は非常に遅い。

ところでパンドラの植物はみな動きが早い。動物と同程度の反応速度を持っている植物がいくつもある。その理由が、映画中で植物学者であるオーガスティン博士によって語られていた。

パンドラの植物は電気信号を伝達する神経を持っているのだ。

地球の植物と違い、この星の植物たちは動物と同じ早さの信号伝達手段を持っている、というのがこのSF作品の極めて重要なタネである。

さて、動物と同じ高速な信号伝達手段を持ちながらも、運動能力は動物よりは低く、地に深く根を張って養分を吸収するのは地球の植物と同じだ。地表に出ている葉っぱや花は、降り注ぐ日光や周囲の空気の様子を感じ取り、それは電気信号に変換されて根の先まで素早く情報が伝わる。地面の中では様々な植物の根が絡みあい、お互いに電気的に接触している。そこを、地表で受信した大量の電気信号が飛び交う。これがちょうど、インターネットのようなものを構成しているのだ。パンドラの星全体が植物に覆われ、全ての植物が電気的に接続され、電気信号をやりとりしている。これがパンドラなのだ。

神経接続

次にパンドラの動物たちを見ていこう。最高等生物であるナヴィ達を始め大型の動物は皆、フィーラーと呼ばれる尻尾のような器官を持っている。 これは恐らく植物が電気的神経回路を獲得している故に、動物たちにも自然に備わったものと思われる。植物はいわば広大なセンサーネットワークでもあり、ここに電気的に接続することによって周囲の様子をより深く探ることが出来、当然、生存にも有利となるからだ。

次第にフィーラーは発達し、フィーラーを持つ個体同士、あるいは異なる種族の動物同士の意思疎通にも使われるようになったと考えられる。

先祖の記憶

先に述べたように、パンドラ星全体は、1つの巨大な電気的ネットワークを構成している。信号が駆け巡るばかりではなく、情報をハードディスクのように長期保存しておく機能も持っているようだ。多数の保存領域がネットワーク上で相互接続されているので、今風に言えばクラウドストレージと言っても良い。 (アバターの公開された2009年にはまだこの言葉は無かった)

さてこのクラウドストレージに、動物たちはフィーラーを用いて時折接続する。この時具体的に何が起きているかは想像することしか出来ないが、動物が植物から情報を得るのと同時に、動物側の情報もこのクラウドストレージに流れ込んでいると推察される。

パンドラでは、数千年という長い年月に渡り、ほぼ全ての生物、特にナヴィ達の脳から直接流れ出た情報、記憶が、巨大なクラウドストレージに溜め込まれているのだ。

儀式

膨大な情報の海から目的の情報を見つけ出すのは容易ではない。これが出来るのはまず長老である。長老はフィーラーを通じて情報の海を探る方法を体得している。

もう1つの方法は儀式である。これは植物群や、複数人のナヴィの脳を処理装置として一時的に集約することによって実現する。

他のナヴィ達の協力を得る場合は、集まったナヴィ達はある種のトランス状態に入る必要があるのだろう。そういった導入も含めて、儀式は構成されている。

星全体がインターネットのようなものだ、と既に書いたが、少し違う見方をすれば「脳のようなものだ」と言うことも出来る。

脳の中では電気信号が複雑に飛び交っていて、感じたり、記憶したり、考えたり、筋肉に命令したり、様々な機能を融合的に持っている。パンドラの植物ネットワークも脳に似た構造をしているので、規模が十分であればそこに「意思」のようなものが生まれるのも当然の成り行きと言える。それは人格と呼ぶほど明確ではないが、接続された植物や動物たちに向けて何らかの方向性を指し示すことが恐らく可能で、それを味方につけるための手続きが、やはり「儀式」として存在している。

まとめ

サイエンスの世界では、星の軌道から微生物の生態までが様々な法則によって密接に関連している。原子の大きさや重さは宇宙のどこでも一緒であり、そこから、宇宙人と地球人のサイズはそれほど大きくは違わないだろうということが計算できてしまう。

密接に関係している故、何か1つが違っていればその影響はあらゆる範囲へと広がり、我々のよく知っている地球とはまったく違う世界が突然現れることがある。

それがパンドラ星だ。だが、それだけではない。

地球上には様々な宗教的儀式があり、イタコや霊媒によって先祖の記憶へアクセスしたり、大自然を味方にしようとする概念が存在している。

地球上のこれらの宗教的様式の殆どはサイエンスのバックグラウンドを持たず、その効果も疑わしい。

一方、パンドラでの先祖の記憶や宗教的儀式は、概念としては地球上のそれと似ているが、そこにサイエンス的なバックグラウンドがもたらされ、その通り機能することが想像可能なのだ。

「もし植物が電気信号をやりとりしたら?」というたったひとつのタネが、パンドラの植物達をもって巨大な1つのインターネット、あるいは「脳」を構成させ、動物にフィーラーを与え、それらによってイタコや宗教的儀式にサイエンス的な意味を与えている。

地球に住む我々がインターネットを手に入れて間もないのでまだあまり実感が沸かない人もいるかもしれないが、数十年後、子供達は皆、膨大な量のツイートや日記を通して、自分の先祖達が日々何を食べ、何をして過ごし、何を考えていたかを検索して知ることが出来るようになるだろう。そのさらに先の未来、人間の脳を直接電気的にインターネットに接続する方法が恐らく確立する。これはちょうど、パンドラにおけるフィーラーに相当し、やがて人類の記憶の全てがインターネットに蓄積され、検索可能になっていくのだ。

パンドラは、たったひとつの小さな変更から生み出されたパラレルワールドであり、宗教的儀式や世界観の新解釈であり、更に、我々の地球の未来予想図でもある。この全てが、この映画で描かれているというわけ。

これが、優れたサイエンス・フィクションである Avatar という映画から、僕が受けた感動であった。